オオカミという存在の重要性については、1960年代から登場した理論の裏付けがあります。その結果がイエローストンの再導入につながることになりました。
1960年ミシガン大学の生態学者へアストン、スミス、スロボトキンが肉食獣の重要性についての仮説を組み立て発表しました。頭文字をとってHSSと称される3人は、「何が個体数の限界を決めるか」という疑問の答は、「捕食」だと考えました。世界が緑で覆われているのは、肉食獣がいてくれるおかげだ、生態系を支配しているのは捕食者であり、重要なのはその頂点捕食者だと主張する内容で、「緑の世界仮説」と称されるようになります。
1966年、ワシントン大学ロバート・ペイン博士は、捕食者ヒトデ=被食者イガイ、フジツボがいる潮間帯で、ヒトデを排除し、その生態系がどう変化するかを実験しました。その実験ではイガイがフジツボを押しやって猛威を振るう単調な世界になってしまうという結果が得られました。彼は少数でありながらその存在が生態系全体に影響する捕食動物を表現する「キーストン種」という言葉を定義しました。
1971年ジェームズ・エステス青年は、捕食者ラッコがいる海岸といない海岸の比較研究により、ラッコがウニを抑制しているためにケルプが育っていること、そして海岸の食物連鎖のピラミッドは、上位から支配されていること、沿岸に生息する全ての生物は何らかの形でラッコが作る安定した生態系に依存していることを発見しました。ラッコとウニ、ケルプの関係は、後にペイン博士が「栄養カスケード」と名付ける現象の実例になりました。
栄養カスケードはイエローストン国立公園へのオオカミ再導入後、公園内のエルクだけでなく、コヨーテやビーバー、水鳥、渓流魚、植生への影響でも目を見張るような変化が起きたため、注目されています。
1990年代、ジョン・ターボ―という生態学者が30人の専門家を集めて開いたワークショップ(アリゾナ州トゥーソン)で、参加者全員の合意により意見を表明しています。
「現時点でわかっていることから、生物多様性を維持するうえで、頂点捕食者は重大でかけがえのない役割を担っていると思われる。頂点捕食者がいなければ、急速かつ広範な絶滅が進み、生態系は単純なものになるだろう」(「捕食者なき世界」)
陸上ではオオカミをはじめ、ライオンやトラ、ジャガーなどを筆頭に、いわゆる猛獣といわれる肉食獣が、海ではシャチが頂点捕食者の代表的な動物です。現在では、生態系のピラミッドに安定を与える栄養カスケードの起点になる存在だと考えられるようになっています。オオカミはその代表的な存在です。
アメリカ・イエローストン国立公園のオオカミは1926年に政府機関によって根絶されました。その後エルクが増加し、植生を破壊するようになります。そして紆余曲折を経てオオカミ再導入に至ります。
その経緯を年を追ってみます。
1926年イエローストンのオオカミ根絶。その後エルク急増
1944年「マッキンレー山のオオカミ」アドルフ・ムーリー
1949年「砂の上の暦」アルド・レオポルド
1958年デイブ・ミーチがロイヤル島のオオカミの調査開始
1960年「緑の世界仮説」提出(へアストン、スミス、スロボトキン)
1960年代イエローストンでエルクの間引き実施
1963年「NeverCryWolf」ファーレイ・モウウェット
1966年ロバート・ペイン潮間帯の実験でキーストン種の定義を発表
1968年イエローストンのエルク対策は自然調節に移行
1972年ニクソン政権でオオカミ復活プロジェクト開始
1980年ペイン博士トップダウン効果が多段階にわたって続く状況を栄養カスケードと名付けた
1985年「オオカミと人間」展をイエローストン公園で開催
1986年D・ミーチ博士イエローストン公園の生態系にはオオカミ再導入が必要だと提言
1987年オーウェンス上院議員がイエローストン公園へのオオカミ再導入計画法案を議会に提出
1992年絶滅危惧種法制定。オオカミは絶滅危惧種に指定
1995年イエローストン公園にオオカミ再導入
再導入オオカミはカナダで捕獲されて連れてこられることになりました。
アルバータ州ジャスパー国立公園の東部、ブリティッシュコロンビア州、ウィリストンレイクの近くからでした。
1995年にイエローストンに運び込まれたオオカミは、4つの異なる群れから捕えられた計14頭、1996年は、6つの群れからの計17頭です。
リリースした後の定着率を考えて、という方式をとりました。10週間ほど馴致のためのフェンス囲いに入れておき、馴れたところで囲いからリリースする方法(ソフトリリース)です。
ほとんどが公園内にナワバリを作り、電波発信機を全頭が装着していたため、行動の詳細が記録されました。。
事前には、何頭かが公園から出て、家畜がかなり捕食されるのではないか、と予想されていましたが、結果としては、最初の2年で捕食された家畜は、ヒツジが10~12頭、牛はゼロ、という予想を下回る被害ですみました。この2年間ではそのために駆除された個体はありません。
オオカミは主にエルクを、群れごとに2~3日に一度捕食していたこともわかっています。
イエローストン公園内合わせて31頭の導入で、96年年末には52頭まで増えています。
全体の頭数としては、97年末には86頭、98年末には112頭まで増えました。
98年に確認できたオオカミの補食は1年間に109例、確認できなかったけれどもおそらくオオカミによるものだろうというのが120例あり、そのうちエルクが90%前後を占め、3月には2~3日に1回、11~12月には3~4日に1回の頻度で有蹄類を捕食していたことが観察されています。
イエローストンのエルク頭数の歴史的変遷を示すグラフを下に示します。
オオカミがほぼ根絶された1923年から記録は始まっています。20世紀初頭は、マーケットハンティングと密猟によるエルク減少があり(Houston 1982)、その保護策としてオオカミやクーガーを根絶したため、逆にエルクが増加し始めました。
1920~1968年は公園管理者やハンターが銃猟やワナで、また移住させることで減らそうとした時期です。そして1960年代になり都市を中心に保護主義に火がつき、今度はエルクが減りすぎたことに市民の関心が集まり、公園の施策として「Natural Regulation」(自然調節)を採用しました。エルクの頭数は主に気候変動の影響で変動することになります。
干ばつや山火事、厳しい冬の1988~89を除いて穏やかな気候だったため、1968~1994年の間、エルクは増え続けました。その頭数は19000頭。一転して過剰なエルクによる冬期の植生破壊が問題とされるようになったのです。
そしてオオカミ再導入後、1995年からエルクは減少し始め、現在では4000~5000頭に収まっています。
それがオオカミだけによるものか、それとも気候や同時に増え始めたグリズリーやクーガーの影響もあるものなのか、議論は現在も続いています。