沈黙の春ふたたび 令和3年8月15日
「鳥も鳴かない山になっちまった」
そのあたりを少年の頃から走り回っていたはずの山中で老猟師がつぶやいたのを私は聞いた。伊豆の山中を歩いていたときのことだ。
今日本列島の森に沈黙の春が訪れている。
レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を刊行したのは1962年。
農薬による環境破壊の恐ろしさを訴えたのだ。農薬の散布により、虫は死にカエルは死に鳥は消え、そして人間もその害を避けられない。
人間が撒いた災厄である農薬は食物連鎖の果てに鳥獣魚の体に蓄積し、それを食べる私たちにもまたその害が及ぶ、そして春のうららかな日にも鳥が鳴かなくなり森は沈黙に支配される。カーソンはそう警告した。
21世紀日本列島にも沈黙の春が訪れた。
紀伊半島では奈良県の県鳥「コマドリ」が減っている。奈良県が日本野鳥の会奈良支部に委託し、県の鳥「コマドリ」の生息調査を2010年(平成22年)に実施したところ、1977年(昭和52年)台高山脈(山脈の両端にある大台ヶ原山と高見山からそれぞれ1字ずつとって名付けられた)の調査では134羽 を数えたのに対して、平成22年の同地の調査では9羽のカウントにとどまった。
2011年(平成23年)にやはり日本野鳥の会奈良支部が調査を大峰山脈(八経ヶ岳を最高峰とする紀伊山地の脊梁をなす山脈)で行い、1978年(昭和53年)に行われた同様の調査でカウントされた51羽に対し6羽しか見つけることができなかった。
奈良県は生息数減少の原因として、ニホンジカの食害により繁殖環境であるスズタケ植生が消滅したことなどが考えられるとしている。
紀伊半島中央部では30年前から大台ケ原のシカ食害による森林の劣化が問題となっていたが、その進行を阻止することができず、ついに正木峠周辺の森林はほとんどが白骨化したように枯れて倒れ、スズタケが草原状に矮化してしまった。大台ケ原を調査した生態学者たちは、この地は土壌も乾燥し、元に戻ることはないとの推測を口にしている。大台ケ原から周辺に分散したシカの群れの食害が大峰山脈にも飛び火しているのである。
世界自然遺産の島屋久島は、1993年に白神山地とともに日本初の世界自然遺産に登録された。屋久島の全面積の約2割に相当する10,747ヘクタールが自然遺産地域として登録されている。(屋久島世界遺産センター)
世界遺産に選ばれた理由は
「九州本土最南端から 60キロメートル の海上に位置するほぼ円形の山岳島である屋久島の中心部から西の海岸部に及ぶ原生的な温帯雨林が広がる地域である。屋久島の島嶼生態系は、標高約 2,000メートル に迫る山岳を有し、亜熱帯性植物を含む海岸植生、山地の温帯雨林から山頂付近の冷温帯性ササ草地や高層湿原に及ぶ植生帯の垂直分布の連続性を保持している点で、北半球の温帯域では他にほとんど例がない顕著な生態系である。また、屋久島の山地温帯雨林は、年間降水量が 8,000ミリ を超える特殊な多雨・高湿度環境に適応した渓流植物や着生植物を豊富に含む特異な生態系が見られる点、樹齢1,000 年を超えるヤクスギの原生林がつくりだす景観を有する点で世界的に特異な存在である。」(2012年(平成24年)10月屋久島世界遺産地域管理計画)というものである。
屋久島には現在推定約3万頭のヤクシカが生息し、世界遺産地域である島の西半分に集中している。島西部の何ヶ所かは生息密度100頭/平方キロを超えるホットスポットが出現し、下層植生は消失、不嗜好植物だけが残る状態である。当然生物多様性は激減し、鳥も鳴かない山になっている。この地域のシカは既に下層植生には頼ることができず年間を通して食物資源の大半を多種多様な樹種からもたらされる森林内降下物(落葉、落下果実、落下種子など)に依存しているという。(揚妻)本来の「特異な生態系」は失われたに等しい。
東京農工大名誉教授の梶光一は、ニホンジカは下層植生が消滅しても落葉に頼ることができるため日本の湿潤な気候の森では密度効果が効かず、自然減は期待できないと明言している。
南アルプスは長野県、山梨県、静岡県にまたがり3000メートル級の山が連なるおよそ20万ヘクタールもの広さの山岳地帯である。2000年前後からシカが3000メートル近い稜線にシカが姿を現すようになり、高山植物の被害が相次いで報告されたため、林野庁は2006~2007年に南アルプスの全山域の植生の調査を行った。
調査の結果は、稜線のお花畑はことごとくシカの食害を受けているというものだった。その後環境省や林野庁はじめ各県の担当部局は麓でのシカの駆除、頭数調整と毎年夏に稜線付近まで資材を運びあげて設置するシカ柵による高山植物保護を実施するようになったが、全域でのシカの頭数削減の効果は測りようがなく、シカ柵による植生保護は全山域面積のごくわずかな割合でしかない。
京都大学は日本の生態学の草分けであり、京都府にある芦生原生林を研究林として保有している。その研究林もシカの増加による被害の例にもれず、下層植生がまったく失われ、土壌流出まで発生しているが、京都大学側はそれを防ぐ有効な手段を何ももっていない。ただシカ柵を設置し、比較調査を行ったことでわかったことがある。シカにより長期の食害を受けた下層植生は再生せず、生物多様性は元の通りには戻らない、ということだ。
2021年7月末、京都大学の研究林に関わる研究者が研究集会をオンラインで開いた。彼らは比較対象の結果を報告し、そのことを再確認した。生態学の研究者たちは食物連鎖を話題にもせず、ただ捕食以外の自然要因が現れるのを期待するだけだった。
次の被害地は自然環境が保持されていることで有名な尾瀬だろうか、それとも白神山地が早いだろうか。いずれにしても日本中の自然的環境が維持されている山岳地帯はどこでもシカのいるところとなり、すでにほとんど植生は破壊されている。いたるところに鳥の鳴かない山が広がってきている。
カーソンの時代の「沈黙の春」は人間が撒いた毒物が食物連鎖の栄養循環によってまわりまわって人間にもその災厄がおよぶことへの警告だったが、日本の現代の「沈黙の春」の警鐘はその食物連鎖網自体がすでに破壊されていることを示すものである。もはや人間が自らの行いを正すだけでは修復できない。そしてそれを警告すべき研究者たちがそのことを理解していないことがさらにこの危機を増幅させる。
シカはオオカミという捕食者とともに生き、進化してきた。捕食を前提に旺盛な繁殖力を備えているのである。シカの主たる天敵は人間ではなくオオカミだ。明治維新後の野生動物乱獲の動機は換金であり、その影響はシカだけではなく、オオカミにも及び、オオカミは絶滅し、シカは激減した。過剰な狩猟は日本の生態系を破壊した。それが生態系の破壊そのものであったことが理解されるのは人間の狩猟圧が減少し、捕食者の脅威がなくなり生き残っていたシカが爆発的な増加を始めてしばらくしてから、1990年代のことだった。
現在を生きる私たちは未来世代に日本の自然環境を壊さずに残す責任がある。しかし、私たちは生態系を既に壊してしまったのだ。これを修復せずに未来世代に手渡すことはできない。
また私たちは過去の祖先たちからも責任を負っている。戦禍に倒れた幾百万の先人たちがもう一度見たいと願い、果たせなかった景観をいつまでも保ち続ける責任を負託されているのだ。
昭和20年の敗戦を機に、大陸各地から何年もかけて日本への帰国を果たした先人たちは日本海を渡る船から日本の島々をはるかに遠望し、緑に覆われていることに得も言われぬ感動を覚えたという。
南方で死んだ兵士たちは魂になっても懐かしい日本に帰ることを願っていた。
「私が死んだら」陸軍少尉 山川弘至
昭和20年8月11日台湾にて戦死 岐阜県郡上郡八幡町出身 28歳
私が死んだら 私は青い草のなかにうづまり こけむしたちひさな石をかづき 青い大空のしづかなくものゆきかひを いつまでもだまってながめてゐやう
それはかなしくもなくうれしくもなく 何となつかしくたのしいすまひであらう
白い雲がおとなくながれ 嵐が時にうなって頭上の木々をゆすぶり ある朝は名も知らぬ小鳥来てちちとなき 春がくればあかいうら 青い芽がふき出して 私のあたまのうへの土をもたげ わたしのかづいてゐる石には 無数の紅の花びらがまふであらう
そして音もなく私のねむる土にちりうづみ やがて秋がくると枯れ葉が日毎一面にちりしくだらう
私はそこでたのしくもなくかなしくもなく ぢっと土をかづいてながいねむりに入るだらう
それはなんとなつかしいことか
黒くしめったにほひをただよはせ 私の祖父や曾祖父や そのさき幾代も幾代もの祖先たちが やはりしづかにねむるなつかしい土
その土の香になつかしい日本の香りをかぎ 青い日本の空の下で 私は日ごとこけむす石をかづき 天ゆく風のおとをきくだらう
そして時には時雨がそよそよとわたり あるときは白い雪がきれいにうづめるだらう
それはなんとなつかしいことか
そこは父祖のみ魂のこもる日本の土 そこでわたしはぢっといこひつつ いつまでもこの国土をながめてゐたい
ただわたしのひとつのねがひは
―ねがはくは 花のもとにて 春死なん そのきさらぎの もち月のころ―
(平成22年(2010年)4月靖国神社社頭掲示)
彼らがもう一度見たいと望んだ日本列島の美しい景観は緑に覆われ、しめった土が樹木草花を育み、シカ柵も銃声もワナに捕らわれた獣の声もない穏やかな自然のはずである。
日本の生態系の復元を、捕食者の復活を願う。