■オオカミのために話そう
はるか昔、ネイティヴ・アメリカンの部族オネイダの先祖が移り住んだところは素晴らしい土地でした。しかしそこにはすでに狼の一族が住んでいました。
ひとつの土地にオネイダ族と狼族、ともに住むには狭すぎます。長老たちの話し合いの結果、狼族を全滅させることに決まりかけました。
そのときひとりの若者が立ち上がり、皆に問いかけました。
「私たちは、そんな人間になりたいのか?」
「誰かオオカミのために話す人はいないのか?」
狼は自然そのもの。彼らは自分たちの行動を見直し、部族にとって大事なことを決める話し合いの場では必ず、こう問いかけることにしました。
Who speaks for Wolf?
今日は誰が、狼のために話す?
人間ではないものたちを顧みることが自分たちの暮らしをより良きものにすると彼らは気づいたのでした。
これは現代の生物多様性保全の考え方そのものです。オオカミは自然そのものを象徴しています。
いま私たちがオオカミのために声をあげ、復活を望むことは、人間社会を敵に回し糾弾することではなく、むしろ人間の知の可能性や真に豊かな未来社会を信じることであろうと、私たちは思っています。
人とオオカミには悲しい過去があります。人が自然を壊し、オオカミの餌動物を奪い、オオカミは害獣にならざるを得ませんでした。
人々は悪いのはそもそも自然を壊す人間だと考えがちです。
でもちょっと待ってください。
たしかに人間は自然を壊す。でも壊していることに気づくことができるのもまた人間だけです。
ほかの生き物は、周囲に何が起きているかわからないまま、それぞれに必死で生きて、生きられなくなったら死に絶えていく。でも人間は何が起きているか知る力を持っている。学んで、伝えて、みんなでどうすればいいか知恵を出し合う能力があります。感じ、学び、何が一番いいかを自分の頭で考え、選び、未来を作って行く。
自然の摂理に逆らわず、多くを望み過ぎず、偏見や先入観に惑わされず、その先にある真に豊かな未来へ向かって歩み続ける――オオカミが、その希望を象徴する動物となってくれたらと願っています。
誰か日本の生態系のために私たちといっしょに声を上げてくれる人はいませんか?